排出量取引が1トン4,300円で始動。EU価格の3分の1にとどまる(GX-ETS)
EU価格の約3分の1で始まった日本の排出量取引。7割の企業が「投資行動を変えない」と回答する中、2030年46%削減まで残り4年。制度が効き始める前に期限が来る構造をデータで読む
2026-06-08
4,300円
GX-ETS上限価格(1トンあたり)
「義務化」は始まった──ただし初年度は計測から
2026年4月、改正GX推進法が施行された。日本版排出量取引制度「GX-ETS」の第2フェーズ、つまり義務化フェーズの開始だ。
対象はCO2の直接排出量が年間10万トン以上の企業。製造業・電力・鉄鋼・化学・セメントなど約300〜400社が該当し、日本全体のCO2排出量の約60%をカバーする。
ただし2026年度は「計測期間」にあたる。企業はまず自社の排出量を正確に把握する。排出枠が実際に割り当てられるのは2027年度で、市場での売買もそこからだ。
第1フェーズ(2023〜2025年度)は自主参加の期間だった。GXリーグに名を連ねた企業は約700社。しかし実際の排出枠取引は限定的で、価格形成の実績は乏しかった。「自主」から「義務」への切り替えは、制度の性格を根本から変える。
日本のCO2排出量の6割を枠内に置いたこと自体は、出発点として十分な規模だ。焦点は、ここから価格メカニズムがどの速度で機能し始めるかにある。
1トン4,300円──EU価格の3分の1という現在地
GX-ETSの排出枠は、上限4,300円、下限1,700円の価格帯で設定された。上限は石炭からLNGへの燃料転換コストの直近10年中央値、下限は省エネJ-クレジットの高騰前平均値が基準だ。
比較になるのがEU ETSだ。2026年6月時点で1トンあたり€72〜77(約1万1,300〜1万2,100円)で推移している。スウェーデンの炭素税は€134(約2万1,000円)に達する。日本の上限はEUの約3分の1、スウェーデンの約5分の1にあたる。
この価格水準は企業の判断に直結する。調査では約6割の企業が「自社の削減投資コストより排出枠の方が安い」と認識している。設備投資で排出を減らすより、排出枠を市場で買う方が安い──その判断が合理的になる価格帯だ。
7割超の企業が「投資行動を変えない、もしくは弱める」と回答したデータもある。カーボンプライシングの本来の機能は「排出に価格をつけて削減投資を促す」こと。現在の水準では、その力がまだ弱い。
主要国・地域の炭素価格(円換算)
各国政府公表データ、Trading Economics(2026年6月時点、1€≈157円で換算)
残り4年で17ポイント──部門で割れる削減速度
2024年度の日本の温室効果ガス排出量は10億4,600万トン(CO2換算)。2013年度比で約29%の削減だ。森林吸収を含めると約9億9,400万トンとなり、1990年度以来初めて10億トンを割った。
しかし2030年度の国際公約は46%削減。残り4年で約17ポイントの上積みが必要になる。
部門別の削減ペースには明確な差がある。
- 業務部門:29.7%削減。オフィスの省エネと電力低炭素化の恩恵が大きい
- 産業部門:26.7%削減。ただし約6割は電力側の改善によるもの
- 運輸部門:15.2%削減。CO2の38%をトラック輸送が占め、構造的に減りにくい
再エネ比率は2013年の10.9%から2023年に22.9%へ倍増した。電力の脱炭素は着実に進んでいる。
だが残り17ポイントを電力だけでは埋められない。産業プロセスの排出と運輸の脱炭素が鍵になるが、ここはカーボンプライシングが本来機能すべき領域だ。現在の価格では、その効果が限定的にとどまる。
部門別CO2削減率(2013年度比)
環境省 温室効果ガス排出量(2023年度確報値)
EUは20年かけた──日本の助走期間はどれだけあるか
EU ETSも最初から高価格だったわけではない。2005年の開始時は1トン€10程度。排出枠を過剰に割り当てた結果、Phase 1末には€0近くまで価格が下落した。
その後、市場安定リザーブの導入や無償割当の段階的縮小など制度修正を重ね、20年かけて€60〜100の水準に到達した。制度をまず作り、走りながら直すアプローチだ。
日本のGX-ETSも同じ思想で設計されている。2030年度の上限価格は4,840円(実質3%+物価上昇率で毎年改定)。化石燃料賦課金は2028年度から導入、発電部門の有償オークションは2033年度から始まる。
つまり、価格シグナルが企業行動を大きく変えうる水準に達するのは2030年代だ。
その間の削減を支えるのがGX経済移行債になる。政府は10年間で20兆円の先行投資を行い、官民合計で150兆円超のGX投資を呼び込む計画だ。カーボンプライシングの価格が育つまでの期間を、財政支出で補う設計になっている。
日本のGHG排出量推移と2030年目標
環境省 温室効果ガス排出量
制度設計の階段を4年で何段上れるか
GX-ETSの段階的なアプローチには合理性がある。EU ETSの初期の混乱──過剰割当による価格下落、市場の機能不全──を回避する意図は制度設計から読み取れる。
しかしEUには「まず低く始めて20年かけて価格を育てる」時間的余裕があった。日本にはそれがない。2030年まで4年、46%目標まで約17ポイント。
焦点は2つに集約される。
- 20兆円のGX移行債が、排出削減に直結する投資(運輸のEV化、産業プロセスの転換)にどの程度配分されるか
- 2028年度に導入される化石燃料賦課金が、行動変容を促す税率に設定されるかどうか
「まず制度を作り、計測し、取引を始め、価格を上げる」。GX-ETSの階段の設計は合理的だ。ただし2030年に間に合わせるには、この階段を2年刻みではなくもう少し速いペースで上る必要がある。その速度を決めるのは、2028年の化石燃料賦課金の税率設計と、次のフェーズの排出枠配分ルールだ。