国民年金は月7万円で過去最高額。でも物価を引くと購買力は前年割れ
物価3.2%上昇に対し年金改定は1.9%。マクロ経済スライド4年連続発動の下で、「過去最高額」の購買力をデータで確かめる
2026-06-16
7万608円
2026年度 国民年金月額(満額・過去最高)
名目7万円の裏にある計算式
2026年6月15日、国民年金の新しい支給額での振込が始まった。
満額で月7万608円。前年度の6万9,308円から1,300円の増額だ。月額が7万円を超えるのは制度史上初めてで、名目では過去最高となる。
ここ数年の推移を並べてみる。
- 2022年度: 6万4,816円
- 2023年度: 6万6,250円(+2.2%)
- 2024年度: 6万8,000円(+2.6%)
- 2025年度: 6万9,308円(+1.9%)
- 2026年度: 7万608円(+1.9%)
4年間で約5,800円、率にして9%近い増額だ。
だが2026年度の改定で使われた消費者物価の上昇率は3.2%。年金の改定率は1.9%にとどまる。差の1.3ポイント分だけ、年金の購買力は前年度より目減りした。
名目は過去最高でも、同じ金額で買えるものの量は減っている。この構造を理解するには、改定率の計算過程を見る必要がある。
国民年金満額月額の推移(2022〜2026年度)
厚生労働省
マクロ経済スライドという「自動調整」
年金額は毎年、物価と賃金の変動に連動して改定される。ここに「マクロ経済スライド」と呼ばれる調整が加わる。
2026年度の計算過程はこうだ。
- 物価上昇率: +3.2%
- 名目手取り賃金変動率: +2.1%
- 改定の基準: 低い方の賃金変動率(+2.1%)を採用
- マクロ経済スライド調整: −0.2%
- 最終改定率: +1.9%
まず物価と賃金のうち低い方を基準にする。そこからさらにマクロ経済スライドで0.2ポイント削られる。結果、物価が3.2%上がっても年金は1.9%しか増えない。
この仕組みは2004年の年金改革で導入された。少子高齢化で支え手となる現役世代が減る中、年金財政を自動的に安定させる設計だ。給付を完全に物価連動させると、保険料を際限なく引き上げるか将来世代の給付を大幅に切るしかない。
マクロ経済スライドは2023年度から4年連続で発動中だ。デフレ期には発動条件を満たさず約20年間にわたり休眠していた仕組みが、インフレの到来でようやく本来の機能を果たし始めた。
2026年度の物価・賃金上昇率と年金改定率
厚生労働省
「満額7万円」が届かない人たち
満額の7万608円を受け取れるのは、480カ月(40年間)保険料を完納した人に限られる。未納や免除の期間があれば、その分だけ減額される。
厚生労働省の統計によると、国民年金受給者の平均月額は約5万6,000円。満額との差は月1万5,000円近い。
自営業者やフリーランスなど厚生年金に加入していない層にとって、国民年金が老後収入の中心になる。
総務省の家計調査(2024年)が映す65〜74歳の高齢単身無職世帯の収支はこうだ。
- 年金等の社会保障給付: 月13万5,278円
- 消費支出: 月17万1,924円
- 毎月の不足: 約3万6,000円
この平均値には厚生年金受給者も含まれる。国民年金のみの世帯では、不足額はさらに拡大する。
不足分は貯蓄の取り崩しか就労で賄う。65歳以上の就業率は25.2%(2024年)と過去最高を更新し続けている。年金だけで生活が完結する世帯は、統計上すでに少数派になりつつある。
所得代替率50%への長い坂
2024年に厚労省が行った年金財政検証は、5年に1度の「制度の健康診断」だ。
焦点となるのは「所得代替率」──現役世代の手取りに対する年金額の比率だ。2024年時点で61.2%。
将来の見通しは、経済前提によって大きく分かれる。
- 成長型ケース: 2037年に調整終了、所得代替率57.6%
- 過去30年投影ケース: 2057年に終了、所得代替率50.4%
- ゼロ成長ケース: 積立金が枯渇し、所得代替率33〜37%
法律上の下限は50%。これを下回れば制度の抜本見直しが義務づけられる。
「過去30年投影」が最も現実的とされる前提だが、所得代替率は50.4%──下限のわずか0.4ポイント上で着地する計算だ。
マクロ経済スライドが毎年少しずつ実質給付を削り、約30年かけて下限ぎりぎりに到達する。制度は持続するが、給付水準は現在より約2割低い。
所得代替率の推移と将来見通し
厚生労働省 2024年財政検証
制度の持続性と生活の持続性
マクロ経済スライドは、年金制度を持続可能にするための仕組みだ。現役世代にとっては将来の給付が一定水準で約束される安心材料でもある。
ただし受給者の側から見ると、インフレ期には物価が上がるほど年金の実質価値が削られる構造になる。名目額が増えて「過去最高」と報じられるが、生活実感との距離は年を追うごとに広がる。
ここに根本的な論点がある。年金制度が持続可能であることと、年金だけで生活が成り立つことは別の問題だ。
前者は財政検証とマクロ経済スライドが担保する。後者は年金制度の外──就労延長の環境整備、資産形成の支援、医療・住居費の公的負担のあり方──にかかっている。
2024年の財政検証では、厚生年金の適用拡大や基礎年金の給付底上げが議論の俎上に載った。いずれもマクロ経済スライドの「削り幅」を縮める方策だが、その分の財源は別に必要になる。
「初の7万円」は制度が設計通りに作動している証拠だ。同時に、年金額の多寡だけでは測れない「高齢期の生活保障の全体像」を問い直す起点でもある。