「税額控除」のない給付付き税額控除 ── 改革の看板を借りた"ただの給付金"
5月の与野党合意で控除は見送り・給付のみ先行。過去の給付金で消費に回ったのは約2割。「1人4万円」が貯蓄に消える未来はデータが予告している。
2026-05-30
78%
過去の給付金が貯蓄に消えた割合
「看板」だけ残った改革
2026年5月21日、与野党の実務者協議がひとつの結論を出した。
給付付き税額控除を導入する。ただし「税額控除」は当面見送り、現金給付のみでスタートする。
聞き流しそうになるが、重大な決定だ。「給付付き税額控除」から「税額控除」を抜いたら、残るのは「給付」だけ。つまり現金を配るだけの制度になる。
この制度が15年以上議論されてきた核心は、まさに「税額控除」の部分にあった。
- 所得に応じて税額を自動的に減額する
- 税額を超える分は現金で給付する
- 働くほど手取りが増える設計で就労を促す
米国ではEITC(勤労所得税額控除)として1975年に始まり、現在は年間約2,500万人に630億ドル(約9.5兆円)を届けている。半世紀の実績がある制度だ。
その核心を取り除いた日本版は、改革の看板を借りたバラマキにすぎない。本記事ではこの仮説を、過去の給付金データと制度設計の国際比較から検証する。
「配って終わり」の繰り返し ── 消費に回るのは約2割
日本は過去に何度も現金給付を繰り返してきた。主なものだけでもこれだけある。
- 1999年:地域振興券(6,194億円)
- 2009年:定額給付金(1兆9,367億円)
- 2020年:特別定額給付金(12兆8,803億円)
- 2021〜23年:住民税非課税世帯向け給付(複数回)
- 2024年:定額減税・調整給付(約3.3兆円)
最も検証が進んでいるのが2020年の10万円給付だ。内閣府の分析によると、消費に回ったのは給付額の約22%。残りの約78%は貯蓄に消えた。
低所得層に限っても消費割合は32%にとどまる。3分の2は使われなかった。限界消費性向(MPC)は6〜27%、ベースラインで16%と推計されている(内閣府政策課題分析シリーズ22)。
今回の有力案は1人4万円。個人単位なので夫婦と子ども2人なら16万円になる。だが過去の実績に照らせば、消費に回るのはせいぜい3〜4万円程度だろう。
「現金を配れば消費が動く」という前提そのものが、データで否定されている。にもかかわらず、同じ手法を繰り返す。
過去の現金給付 ── 消費に回った割合
内閣府「政策課題分析シリーズ22」
日本の主な現金給付の予算規模
総務省・内閣府
「控除」が持つ3つの力 ── 米国EITCが証明したもの
なぜ「控除」が不可欠なのか。米国EITCの50年の実績が答えを出している。
第一に、就労インセンティブだ。EITCは所得が増えるにつれて控除額も増える「フェーズイン」区間を持つ。働くほど手取りが増える設計で、シングルマザーの就労率を顕著に押し上げた実績がある。
現金給付にはこの効果がない。働いても働かなくても同額が振り込まれるなら、就労促進にはならない。
第二に、コスト効率だ。控除は確定申告を通じて自動的に所得を再分配する。EITCの管理コストは給付総額の約1%だ。現金給付は毎回「対象者選定・申請受付・振込処理」が必要で、行政コストが膨らむ。
第三に、制度の持続性だ。控除は税制に組み込まれ、毎年自動的に機能する。現金給付は「やるかやらないか」を政治が毎回判断する。選挙前に増額、財源難で縮小。政策が政治の都合に振り回される。
EITCには不正申請率32.7%(約211億ドル)という課題もある。だが制度の「肝」は就労促進と自動再分配にある。その肝を最初から捨てた日本版は、制度設計として明確な後退だ。
骨抜きの真因 ── 配偶者控除という「聖域」
税額控除が見送られた公式理由は「実務が複雑で導入に時間がかかる」だ。マイナンバーと税務システムの連携、所得把握の精度向上など、技術的課題は確かにある。
だが本質的な理由は別にある。税額控除を入れると、既存の所得控除体系との整合性が避けられなくなる。
日本の所得税には配偶者控除、扶養控除、基礎控除が複雑に絡み合っている。給付付き税額控除はこの体系に直接メスを入れる制度だ。
特に配偶者控除が問題になる。「年収103万円の壁」を生むこの控除は、「働くほど得する」給付付き税額控除と根本的に矛盾する。片方は「働かない方が得」な壁を作り、もう片方は「働くほど得」な坂道を設計する。両立はできない。
矛盾を解消するには配偶者控除の縮小か廃止が必要だ。だがその影響は約1,400万世帯に及ぶ。与野党ともに踏み込む覚悟はない。
結果、選ばれたのが「控除には触れず、給付だけ先行」という妥協だ。既存の控除体系を聖域として温存し、最も政治的リスクが低い道を選んだにすぎない。
「4万円」の先に必要な工程表
このまま給付のみで走り出すと、高い確率で次の展開が待っている。
数年後に「効果不明」と評価される。過去の給付金と同じく消費喚起は限定的で、「税額控除を追加すべきだった」と議論が再燃する。だがその頃には給付の仕組みが定着し、控除の後付けコストが膨大になっている。
英国のユニバーサル・クレジットは6種の給付を統合するのに13年かかった。「まず簡単な方から」という判断が制度移行コストを膨張させた先例だ。日本も同じ轍を踏もうとしている。
6月の中間取りまとめで問うべきは、4万円の金額ではない。「いつ・どのように税額控除を組み込むか」の具体的工程表だ。
年限を切らない「将来的に検討」は、永久に実現しない改革の常套句だ。2027年度の本格導入時に税額控除のパイロット導入を盛り込めなければ、15年かけた「税と給付の一体改革」は名前だけ新しい現金給付で終わる。
1人4万円が貯蓄に消える結末を、過去のデータはすでに予告している。