「家賃が上がる国」になった日本
建築コスト40%増、都心15%超の上昇──賃貸2,000万世帯を政策は見捨てたのか
2026-05-28
年+15%
東京23区 単身向き家賃上昇率(2025年)
「家賃は下がるもの」──その常識が壊れた
日本の家賃は30年間、ほぼ動かなかった。 デフレと人口減少が続くなかで「待てば安くなる」が賃貸市場の常識だった。
その前提が、2025年に崩壊した。
東京23区の家賃上昇率(2025年、前年比)を見てほしい。
- 単身向き(30㎡以下):+15.1%
- コンパクト(30〜50㎡):+12.0%
- ファミリー向き(50〜70㎡):+10.0%
東京だけの話ではない。福岡市は+14.1%、仙台市は+12.8%と地方都市でも二桁上昇が相次いだ。全国13主要エリアのうち11エリアで、前年比3%以上の家賃上昇が確認されている。
総務省のCPI民営家賃指数も異変を示す。2024年の+0.2〜0.9%から、2025年には+1.8〜2.0%へ一気に跳ね上がった。家賃は「粘着性」が高い物価項目として知られ、一度上がると下がりにくい。CPIの家賃が動き始めたこと自体が、構造変化のシグナルだ。
これは一過性の値上げではない。日本が「家賃インフレ国」に転じる構造転換の始まりだ。
東京23区 タイプ別 家賃上昇率(2025年 前年比)
LIFULL HOME'S マーケットレポート(2025年10月)
建築コスト「40%増」── 不可逆の上昇圧力
家賃が上がる最大の理由は、建物を建てるコストの急騰にある。
建設物価調査会のデータによると、建設資材は2015年比で40〜50%上昇した。品目別で見ると深刻さがわかる。
- 生コンクリート:+69%
- 異形棒鋼(鉄筋):+54%
- 建築費指数全体:+40〜50%
人手不足も止まらない。公共工事設計労務単価は14年連続で上昇し、2025年は全職種平均24,852円。2011年の13,047円からほぼ倍増した。建設業の有効求人倍率は全産業平均の4倍以上で、人件費の上昇圧力は今後も続く。
三菱地所リアルエステートサービスの試算が示す未来は厳しい。建築費指数(2011年=100)は2020年に121、2024年に153。そして2030年には181に達する見込みだ。わずか10年で5割増という異常なペースになる。
この数字が意味するのは「新築が建てにくくなる→供給が減る→既存物件の家賃も上がる」という連鎖だ。
コストプッシュ型の家賃上昇は、景気が悪化しても止まらない。バブル期の家賃高騰は需要主導だったから不況で下がったが、今回はコスト主導だ。この点が過去とは本質的に異なる。
建築費指数の推移(2011年=100)
三菱地所リアルエステートサービス
持ち家に8,000億円、賃貸にゼロ──歪んだ政策構造
日本の住宅政策は「家を買う人」を手厚く支援してきた。住宅ローン減税だけで、年間約8,000億円の税収が投入されている。
一方、賃貸に住む約2,000万世帯への公的家賃補助はどうか。生活保護の住宅扶助を除けば、制度としてほぼ存在しない。
公営住宅の現状は悲惨だ。
- 都営住宅の新規建設:ゼロが26年目
- 都営住宅の応募倍率:約15倍(全国平均は約3.6倍)
- UR賃貸住宅:70万戸から65万戸へ削減方針
企業の住宅手当も頼れなくなった。支給する企業の割合は2014年の45.5%から2024年には34.7%に低下している。特に中小企業ではほとんど支給されていない。
国交省のデータでは、40歳未満の単身男性の家賃負担率(対可処分所得)は1989年の12.4%から2009年に19.9%まで上昇した。単身女性は同期間に19.0%から24.7%だ。2025年の東京ではこの数字がさらに悪化しているのは確実で、可処分所得の3割近くが家賃に消えている若年層も珍しくないだろう。
「家賃は自己責任」という前提で設計された制度が、家賃インフレの時代にそのまま残っている。
40歳未満・単身者の家賃負担率(対可処分所得)
国土交通省 住宅市場動向調査
賃上げの果実を「家賃」が食い尽くす
春闘3年連続5%超の賃上げは、歴史的な成果だ。しかし家賃が年10〜15%で上がれば、その恩恵は大きく目減りする。
具体的な数字で見てみよう。
東京23区のファミリー向け賃貸マンション(50〜70㎡)の平均家賃は月額25.1万円、年額約301万円に達した。収入の30%以内に収めるには、年収約1,440万円が必要になる。
これは東京の勤労者平均年収の2倍以上だ。
問題の本質は「賃上げ→インフレ→家賃上昇→可処分所得の減少」という循環にある。賃金が上がっても住居費がそれ以上の速度で膨らめば、生活実感は改善しない。
特に深刻なのは20〜30代の若年層だ。40歳未満の約6割が民間賃貸住宅に住んでいる。持ち家を買う頭金もなく、賃貸に住み続けるしかない層が、家賃上昇を真正面から被る構図だ。
「若者の消費離れ」の一因は、実は「家賃の膨張」にある。可処分所得のうち住居費が占める割合が年々拡大すれば、消費に回す余裕は物理的になくなる。少子化の遠因としても無視できない。
住宅政策の軸を「住める国」に変えるとき
必要なのは、住宅政策の根本的な転換だ。
ドイツには所得に応じた家賃補助(Wohngeld)がある。フランスにはAPL(住宅手当)がある。いずれも賃貸居住者の住居費負担を直接軽減する制度で、数百万世帯が利用している。日本にだけこの仕組みがない。
具体的に3つの施策が必要だ。
- 住宅ローン減税8,000億円の一部を「家賃補助制度」に振り替える
- 都営・公営住宅の新規建設を26年ぶりに再開する
- 住宅セーフティネット制度を家賃補助として抜本拡充する
このまま放置した場合の見通しは暗い。建築費は2030年に2020年比で約50%上昇する予測だ。東京の家賃もそれに追随すれば、若年層にとって首都は「働く場所はあるが住めない都市」になる。
住宅政策の軸を「持ち家取得の支援」から「すべての居住者の住居費負担の軽減」に移すこと。それは個人消費を下支えし、少子化対策としても機能する。
家賃問題は、もはや住宅政策の枠に収まらない。賃上げの効果を左右する経済政策の中核として扱うべきだ。