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戦没者遺骨のDNA鑑定、1年で名前が戻ったのは10柱だった

戦没者遺骨のDNA鑑定、1年で名前が戻ったのは10柱だった

同じ年に「日本人の遺骨」と判定されたのは1,061柱。照合する遺族側の登録が追いついていない

2026-08-08

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DNA鑑定で身元が判明した遺骨(2003年度〜2026年1月末の累計・柱)

未収容112万柱の内訳

先の大戦で海外で亡くなった戦没者は約240万人。 うち約128万柱の遺骨が日本に戻り、約112万柱が現地に残ったままだ。

厚生労働省はこの112万柱を三つに分けて把握している。

  • 海に沈んだ遺骨:約30万柱
  • 相手国の事情で収容が難しい遺骨:約23万柱
  • 収容できる見込みがある遺骨:最大で約59万柱

国の遺骨収集事業が始まったのは1952年度で、これまでに約34万柱を収容してきた。 ただし、その大半は1950年代から70年代に集中している。

2016年には、遺骨収集を国の責務と定めた推進法が施行された。 産経新聞の集計によると、施行から10年で収容された遺骨は3,981柱。 収容できる見込みとされる59万柱の0.7%にあたる。

法律も、集中的に取り組む期間も、事業を委託する指定法人もそろっている。 それでも、収容数はこの水準で推移してきた。

海外戦没者240万人の遺骨はいまどうなっているか

出典:厚生労働省「戦没者の遺骨収集事業の取組状況について」(2025年1月末時点)

DNA鑑定には二つの段階がある

収容の遅さとは別に、もう一つ詰まっている工程がある。 身元の特定だ。

厚労省は2020年5月の見直しで、遺骨をそのまま送還せず、まず検体を持ち帰る方式に切り替えた。 日本人の遺骨かどうかを先にDNAで判定する仕組みだ。

前段にあたるこの判定は動いている。 2025年度は2026年1月末までに1,304件を審議し、1,061件が日本人の遺骨と判定された。 2020年度からの累計では9,237件を審議し、8,873件が日本人の遺骨と判定されている。

一方、誰の遺骨かを突き止める後段の鑑定は、同じ期間に770件を審議して10件。 累計でも2003年度から2026年1月末までに7,796件を審議し、身元が判明したのは1,293件にとどまる。

「日本人の遺骨だ」までは年に千柱の単位で進み、「誰の遺骨か」は年に十柱の単位で止まる。

戦没者遺骨のDNA鑑定の累計(2003年度〜2026年1月末)

出典:厚生労働省 戦没者の遺骨収集に関する有識者会議 令和7年度第2回資料

名前を決めるのは遺族側の登録

二つの工程で差がつく理由は、鑑定の技術力ではない。 日本人かどうかは遺骨の側だけで判定できるが、名前は遺骨の側だけでは決まらないからだ。

身元の特定には、遺族から提供されたDNAとの照合が要る。 遺族が申請していない戦没者の遺骨は、日本人と判定されても無名のまま残る。

遺族からの申請は、2003年度から2026年1月末までで9,217件。 厚労省の説明では、これは家族単位の数字で、1件の申請で息子とおいの2人分の検体が提供されている例もある。

戦後81年が過ぎ、検体を出す中心だった子の世代は高齢になった。 厚労省は特別弔慰金の窓口でリーフレットを配り、2025年8月には映画とタイアップしたポスターを自治体に配布、12月には広報動画も公開している。 広報の相手が孫やひ孫の世代へ移りつつあることの表れだ。

収集の期限は2029年度まで

集中実施期間は2023年6月の法改正で5年延び、2029年度までとなった。 現地調査が終わっていない埋葬地の情報は、2022年3月末時点で約3,300か所ある。

2024年度の海外派遣は、現地調査が29回、遺骨収集が22回。 掘る前に「どこを掘るか」を確かめる回数のほうが多い。

国内にも残っている。 硫黄島の戦没者は21,900人。 収容されたのは10,710柱で、11,190柱が今も地下にある(2025年1月末時点)。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑には、身元が分からないまま約37万柱が納められている。 DNA鑑定で名前が戻った1,293柱とは、桁が二つ違う。

残り4年で収容の回数を積み上げても、照合する遺族側のデータが増えなければ、増えるのは無名の遺骨のほうだ。 祖父や曽祖父の戦没地に心当たりがあれば、孫やひ孫の世代でも鑑定を申請できる。 この4年の数字を左右するのは、掘る速さよりも、その事実がどこまで届くかである。

硫黄島の戦没者と遺骨(2025年1月末時点)

出典:厚生労働省「硫黄島における戦没者遺骨収集について」