「減税ドミノ」の誘惑 ── 105兆円予算と1,100兆円債務の間で揺れる日本
103万円の壁、トリガー条項、法人税改革……各党が競い合う「財布の約束」は本物か、それとも選挙前の蜃気楼か。
2026-03-18

105.7兆
2026年度一般会計予算(過去最大)
105.7兆円予算案が衆院通過 ── 膨張する国家の現在地
2026年3月13日、自民党・日本維新の会の与党連合は2026年度予算案を衆議院で可決した。一般会計総額は105.7兆円で、当初予算として過去最大。2016年度の96.7兆円から約9兆円増えた。2月の衆院選で自民党が316議席を得たこともあり、予算案は2週間余りで衆院を通過し、16日から参院審議に入った。憲法上は衆院議決が優先されるため、年度内成立は確実な情勢だ。歳出では社会保障費が約37兆円と全体の35%を占め、2000年度の約16.7兆円から四半世紀で2.2倍以上に膨らんだ。防衛費は8.7兆円、文教・科学振興費は5.5兆円、公共事業費は6.1兆円、地方交付税交付金は16.5兆円。ホルムズ海峡危機を受け、エネルギー安全保障関連の予備費も3,000億円計上された。一方、国債の利払い費は28.2兆円と初めて28兆円を超え、歳出の26.7%に達する。税収見込みは約72兆円で、不足する約33兆円は新規国債に頼る。政府債務残高はGDP比約260%と、イタリア約140%、ギリシャ約160%を大きく上回る。IMFは2025年の対日審査で財政健全化の道筋を早期に示す必要を警告し、ムーディーズもA1格付けの見通し引き下げを検討していると報じられた。金利が1%上がるだけで利払い費が年数兆円規模で増える構造は、「金利のある世界」で一段と重い。
2026年度一般会計歳出の内訳
出典:財務省
103万円の壁 ── 手取り増と4兆円減収の攻防
2026年の税制論争で焦点となるのが、国民民主党の看板政策である「103万円の壁」の撤廃だ。現行制度では、給与所得控除65万円と基礎控除48万円を合わせた103万円を超えると所得税がかかり始める。この仕組みにより、パートタイム労働者を中心に約800万人が働く時間を抑えているとされる。生産年齢人口が毎年約50万人ずつ減るなか、就業抑制の解消は人手不足対策でもある。国民民主党は基礎控除を48万円から大幅に引き上げ、非課税枠を実質178万円程度まで広げる案を掲げる。実現すれば、年収200万円前後のパートタイム労働者の所得税負担はほぼなくなり、同党試算では労働供給が約15万人分増え、GDPを0.3%程度押し上げる。ただし、約4兆円の税収減も見込まれる。西村康稔財務大臣は国会で、見直しの方向性には理解を示しつつ、4兆円の財源を示さない議論は無責任だとして段階的な見直しを主張した。自民党内でも、130万円、150万円と段階的に進めるべきだとの慎重論が主流である。さらに所得税の壁を動かしても、社会保険の「106万円の壁」「130万円の壁」が残れば就業抑制は解消しきれない。厚生労働省の推計では、社会保険まで含む包括改革の減収額は5〜7兆円に膨らむ可能性がある。玉木雄一郎代表の「手取りを増やすことが最大の経済対策」という訴えは物価高に苦しむ有権者に響くが、政策の本気度は財源と実行スケジュールに左右される。
国債残高の推移
出典:財務省
トリガー条項とガソリン税 ── 25.1円減税の重み
ホルムズ海峡の事実上の封鎖で原油価格が110ドルに急騰するなか、ガソリン税の「トリガー条項」凍結解除が再び争点になっている。トリガー条項は、ガソリン小売価格が3カ月連続で1リットル160円を超えた場合、ガソリン税の上乗せ分である旧暫定税率25.1円を自動的に引き下げる仕組みだ。2010年に導入されたが、2011年の東日本大震災後、復興財源確保のため「当分の間」凍結され、15年以上続いている。レギュラーガソリンの全国平均小売価格が190円を超える現在、リッター25円の値下げは家計や運送業界への効果が大きい。トラック運送業界団体は、燃料費が運送コストの約3割を占め、25円の引き下げは業界全体で年間約4,000億円のコスト削減に当たると試算する。国民民主党は家計負担の軽減を、維新は補助金より市場原理に近い自動調整を重視し、ともに凍結解除を主張する。一方、財務省と自民党主流派は慎重だ。発動すれば年間約1.5兆円の税収減が見込まれ、道路整備や地方交付税の原資に穴が開く。いったん下げた税率を戻す政治的難しさも財政規律上の懸念である。連立与党の維新が自民党と異なる主張を続けることは、多党化時代の政策調整の難しさも示している。政府は燃料油価格激変緩和対策事業で価格上昇を抑えてきたが、2022年以降の累計財政コストは6兆円を超えた。補助金か減税かを問わず、負担を現在世代が引き受けるのか、将来世代へ送るのかが核心となる。
各党の財布の約束 ── 減税合戦の実現可能性
2026年の日本政治は「減税合戦」の色を強めている。各党が家計への還元策を競う一方、有権者が問うのは実現可能性と持続可能性だ。自民党は「成長と分配の好循環」を掲げ、法人税改革で企業の国内投資を促し、その成果を賃上げや雇用拡大につなげる方針である。予算案には、国内設備投資や研究開発投資への法人税優遇、半導体や蓄電池など戦略分野への減税措置が盛り込まれた。ただ、法人税収を減らしながら歳出を広げる姿勢には、野党から「企業優遇が先で家計は後回し」との批判がある。最新のmin-i now世論調査で自民党支持率が低迷していることも、成果が十分に実感されていない可能性を示す。国民民主党は「手取りを増やす」を掲げ、103万円の壁撤廃による税収減4兆円と、トリガー条項凍結解除による税収減1.5兆円を合わせ、最大5.5兆円規模の減税を提案する。財源は歳出改革3兆円、金融所得課税強化1兆円、残りを経済成長による自然増収で賄うとしているが、エコノミストからは楽観的との指摘もある。維新は「身を切る改革」の延長として、議員定数削減や行政のデジタル化による歳出削減を財源に掲げ、教育無償化の拡大や社会保険料負担の軽減も訴える。ただし、連立与党としての実現力と改革政党としての独自色をどう両立するかが課題だ。中道改革連合は高所得者への所得税率引き上げと資産課税を提案し、共産党やれいわ新選組は消費税の減税・廃止を主張する。どの党も、財源と実行計画の具体性が信頼を分ける。
国債残高1,100兆円 ── 減税と財政再建のはざまで
減税論議が広がる一方、日本の財政負担は膨らみ続ける。2026年3月末時点の国債残高は約1,100兆円で、国民一人当たりでは約900万円の借金を背負う計算だ。日銀が保有する国債は全体の約50%を超え、事実上の財政ファイナンスに近いとの批判も根強い。植田和男総裁は金融政策の正常化を慎重に進めているが、利上げが進めば国債の利払い費が急増する。現在28.2兆円の利払い費は、平均金利が1.5%に上がれば40兆円に迫り、防衛費8.7兆円、文教費5.5兆円、公共事業費6.1兆円の合計を上回る。それでも長期金利が比較的安定してきた背景には、国債の約9割を国内投資家が保有する「ホームバイアス」と、対外純資産418兆円で34年連続世界一という強みがある。日本は借金大国であると同時に世界最大の債権国でもある。しかし、高齢化で家計貯蓄率が下がり、経常収支の構造が変われば、この支えが永続する保証はない。団塊世代の後期高齢者入りが本格化する2025年以降、貯蓄の取り崩しが進めば、国債の国内消化力は低下するとみられる。政府は2025年度のプライマリーバランス黒字化を目標としていたが、達成は困難とされ、目標年次は事実上先送りされている。105.7兆円の予算、1,100兆円の債務、減税への期待、社会保障充実への要望、増税への反発を同時に満たす魔法の杖はない。参議院選挙に向け、各党は「減税の約束」と「財政再建の責任」をどう両立させるのかを問われる。